ゆずりは近況
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ファースト・キスは
2008/05/07




 初恋の彼女とのファースト・キスはオリーブの木の下であったと恥ずかしげに語りだしたのは、小豆島出身の若者であった。学生時代の下宿でのはなし。
 一緒にいた水戸出身の男は、うらやましげに 「 おいらなんか、映画見た帰り道で暗かったから、なんだかわけの分からないうちに済んじまった 」。さらにその場にいたもう一人の男は (出身地不明)、「・・・ 強引に迫ったら、思い切りひっぱたかれたんで、やけくそにキスしたら相手の鼻にしちまった。俺のファースト・キスだったのに 」。
 女はもちろん、男にだってファースト・キスは大切にしたい気持ちは当然ある。シチュエーションだって、思い出に残るような場面でありたいとは思うものだ。思うものだが、そこはそれ、初めてだから、なかなか頭が手際よくまわらない ( らしい。なにせ、くどいようだが初めてだから )。
 小豆島のオリーブの木の下のように、長野県ならリンゴ畑の木の下で ・・・とか、お隣の山梨県ならブドウ棚の下で ・・とか、それなりのローカルポイントはあるものだ。
 さて、全国の各市町村には、それぞれの特長を売り出すためのキャッチ・コピーがある。わが美瑛町にだって 『 丘のまち美瑛 』 というのがある。あるにはあるが、どうもいまひとつパッとしない。インパクトも弱い。そこで、・・・であるから、思いきってこんなのはいかがだろうか、わたしが言うのも照れるが ――

  “ファースト・キスは美瑛の丘で”




愛の賛歌
2008/05/07




 フランス革命当時、多くの人々が断頭台の露と消えました。ルイ16世、マリー・アントアネットをはじめ、有名な化学者・ラヴォアジェなども些末な罪を負わされてギロチン台にかけられた。「 おお自由よ、お前のもとに、いかに多くの罪悪が行なわれることよ 」( ミセス・ローラン )。
 『 自由 』 という錦の御旗は、黄門さまの 「 これが目に入らぬか! 」 の印籠みたいに、有無を言わせぬ絶大な力を発揮するようです。『 愛国 』 という赤い旗も同様に、泣く子を黙らせるほどの威力があるらしい ―― というような堅い話しはさておき、香り高いフランスの小噺をひとつ ――
 フランスの国歌 『 ラ・マルセイエーズ 』 は、革命当時、マルセイユの義勇軍が周辺諸国の干渉から国を守るために、パリに進軍した時の進軍歌であったそうです ( 以上は前置き )。
 さて、ひとり娘が結婚しましたが、花嫁の父は心配でなりません。新婚初夜をむかえ、不安そうな娘に父はこう言いました。「 心配しなくていいよ。パパはお前たちの隣の部屋に今夜はいるからね。何か怖いことがあったら、いつでもパパを呼ぶんだよ 」 と。
 夜もふけました。隣の部屋から、娘のか細い声が聞こえてきます。
 「 ・・・ぁぁパパ! 」
 「 パパ、パパ、 ・・・」
 パパはベッドからハネ起き、隣の部屋のドアに手をかけました。すると、また一段と大きな声が聞こえてきます。
 「 ああ! パパ! ・・・ぃぃパパ! 」
 そして更にそのあとです。娘は高らかに歌いました。
 「 パパパ、パッパッパッパッパーッパパ、〜^−¥@〜#& ・・・・」
 
 『 ラ・マルセイエーズ 』 は愛の進軍歌でもあるようですね、フランス嫌いのお隣さん。




茶摘―後継―高齢
2008/05/07




 茶どころ静岡県の牧之原台地が遠く見わたせる場所にいる。平坦な丘の上に茶畑がゆったりと広がり、新茶の摘み取りも、今年はもう終わろうとしている。
 茶畑も平坦な場所ばかりとは限らず、急な傾斜地にも拡がっていて、そんな場所のほうが美味しいお茶ができるとも聞いている。だが農作業は大変だ。車が入れないから、摘み取った茶葉は大きな布袋に詰め込まれて、車のある場所まで肩に担いで何度も運び降ろさねばならない。そんな姿を見ていた幼子が、「 あっ、お父さん、サンタさんだ! 」 と喜んだと、父親が自嘲気味に語っていた。茶農家は俺の代でおしまいだと、彼は覚悟を決めている。
 子供は親の働く姿を見て育つ。日々の親の働く姿勢に敏感な視線を向ける。向上心が乏しく、ただ営利のみに走る親には冷たい視線をあびせる。跡を継ぎたくないと思うかも知れない。後継者が無く、うち捨てられた茶畑も出始めている。
 “山荘ゆずりは” にも後継者はいない。両親の働く姿を見てなのか、この場所を嫌ってなのか、みな巣立って行く。まわりに家一軒見あたらない所など、子供たちには耐えられないのだろう。ゆくゆくは私一人が住むことになるが、それも後期高齢者の仲間入りするころには、車の運転もおぼつかなくなるから、そうなれば町の福祉のお世話になるしかない。今のうちに町民税は多めに納めるべきかとも。
 生まれ故郷の実家からは、真正面に富士山が窓いっぱいに拡がる。近隣の人々がバイパス道路沿いに新しく家を建てて移って行くなかで、生前の父は頑として動こうとはしなかった。理由は、木々に囲まれてしまい、大好きな富士山が見えなくなるからだと子供のような顔で言っていた。たぶん半分は本心だったろう。
 息子の私も、山荘の窓いっぱいに拡がる十勝連峰が好きである。最期の時は、病院のベッドの上でではなく、山荘の2階の長椅子に深々と身を沈め、十勝連峰を望みながらゆったりと目を閉じたいと思っている。これは半分以上本心である。




物語のスパイス
2008/04/30




 『 源氏物語 』 の主人公・光源氏が追い求める女性像の原点は、源氏の幼き日に亡くなられた生母・桐壺の更衣にあるといわれている。その母に面影がよく似た義母・藤壺の宮と道ならぬ恋の末、子まで儲けるという物語の序盤は危険が甘美の衣を羽織っていて、妙に心ときめく。
 母親と息子の関係は、物語のスパイスとしてはかなり強烈なものだ。古くはギリシャ悲劇の 『 オイディプス王 』。アポロンの予言どおり実の父を殺し、実の母を妃としてその間に四人までも子を儲ける。だが、その真相を知ったオイディプス王は、己が両眼をえぐり取って罪の深さに慟哭し、実の母でもある妃は首をくくって自害するという物語だ ( 以前、『 アポロンの地獄 』 という映画にもなっていた )。
 父親と娘の関係はどうかというと、これもかなり危険なスパイスとなる。母 ― 息子、父 ― 娘という関係は “エディプス・コンプレックス” と呼ばれ、フロイトが精神分析学の中で繰り返し述べているが、人の心の深層では深い意味をもつらしい。
 2、3日前、オーストリアから奇怪なニュースが飛び込んできた。父親が娘を地下室に長いあいだ監禁し、子供まで生ませていたという事件だ。こうなると物語のスパイスとしては、もうヘムロック ( 毒ニンジン ) かトリカブトの領域になる。
 ドロドロとして怪奇な様相を見せてはいるが、人間の心の奥底の暗い所には、得体の知れない何ものかが、どうやら横たわっているらしい。




蜘 鳴くや
2008/04/30




   蜘 ( くも ) なにと
   音 ( ね ) をなにと鳴く 
   秋の風

 芭蕉の最晩年の句であるが、この句を私は長い間、次のように間違えて覚えていた。

   蜘 鳴くや
   蜘 なんと鳴く
   秋の風

 意味合いに大差はないけれど、やはりどこか肌合いが違う。老いや孤独の深さの度合いが違う。
 「 蜘も鳴くのか ・・、鳴くならどんな声で鳴くのだろう ・・・、秋の風のようにか 」
 これが間違えて覚えた句の肌合いだとすれば、元の句は ――
 「 老いた蜘は何を嘆き、いかなる声音で鳴くのか ・・・秋風のように人知れずにか 」
 鳴くはずのない蜘も、やはり鳴くこともあるのだろうか、人生の秋を向かえれば。
 さらに老いも深まると、幻聴も聞こえてくる。

   夜 ひそかに
   虫は月下の
   栗を穿 ( うが ) つ




彼のこと、師のこと
2008/04/25




 今年は春になってもいまだ美瑛に帰れず、こうやって自分で自分に便りをするような、どこか醒めた、諦めに似たような心持の中に沈んでいる。
 古い友達のことをいま思い出している。40年近く前のことだ。美術学生だった。文化祭で木下順二の 『 夕鶴 』 をクラスでやることになった。人前で芝居など、小学校の学芸会以来の連中ばかりだったが、演劇好きな男が一人いて、彼の演技指導のおかげで、どうやら芝居らしくなった。
 プロデューサー兼舞台装置の製作は、なぜか私に任されたが、照明や音響装置など何も無かったからひどく苦労した。赤や青の裸電球を舞台裏に並べ、それらを切り替えながら暮れゆく夕空を表そうとしたり、寄せ集めのスピーカーで即席のP・Aシステムを作ったりもした。挿入する効果音は武満徹の 『 ノヴェンバー・ステップス 』 を使ったら、これがうまくハマった。尺八や琵琶の響きが、“つう” が自身の羽根で機織るシーンや夕空に飛び去るシーンにうまく合ったことを懐かしく思い出す。
 一度だけの上演のはずが、評判が思いのほか良くてアンコール再演したほであったが、芝居よりも評判が良かったのが、その素人芝居のためのポスターであった。
 『 夕鶴 』 のポスターを任せられたのは、クラスで一番デッサンのうまい “彼” であった。彼は釧路の出身であったから、子供のころから丹頂鶴は見慣れている。その彼の描く 『 夕鶴 』 のポスターは素晴らしかった。鶴が大きく翼を広げ、いままさに夕空に舞い立とうとする姿や、それを見上げる “よひょう” や子供たちの悲しげな表情が鋭い線描で力強く描かれていて、胸をうった。10枚ほど違った構図で描かれたそのポスターは学校内の廊下に貼られたが、文化祭の終わるころにはみな剥がされ、持ち去られてしまっていた。ロートレックの 『 ムーラン・ルージュ 』 のポスターなみであった。
 彼は夜は酒場で働く苦学生であったが、それでも学資が続かなくなって、一年足らずで学校を去った。その少し前、彼と私が学長 ( であり、私たち洋画科の先生でもあった ) に呼ばれ、飲みに誘われたことがあった。もちろん先生が彼の才能を惜しんだわけだし、なぜか私を同行させたのは、彼一人では語りづらかったのかもしれない ( 当時わたしが、円空の仏像写真を油彩で描いていたのを面白がっていたこともあったようだが )。
 先生は大変お酒が強かった。おかげで私たちもかなり酔った。話題は絵画に対するさまざまな情熱が主であったが、帰りぎわに先生の足が立たなくなった。彼と私が両脇から抱きかかえて、先生のお宅までお送りしたくらいであった。酒の飲みっぷり、酔っ払いぶりに、彼と私は心から感動した。身についたステータスなどかなぐり捨てて、同じ目線で若者たちと語り合う、その柔らかい懐の深さに、今でも尊敬の念を抱いている。




太古、植物は動物を凌駕していた
2008/04/25




 「 人は木を切らなければ生きていけないんでしょうか 」 という、ある小学生の問いかけがありました。
 これに対し大人は、「 わが国は温暖な気候で樹木が豊富に育ち、古くから木を使って家屋や家具、紙などで居住空間をつくってきた。地震が多く、石やレンガなどは利用しにくかったからです 」 とでも答えるのでしょうか。
 この答えに、でも小学生は、はたして納得するのでしょうか。彼はもっと違う答えを期待していたはずです。「・・・木を切らなければ ・・・」 という言葉の前には、きっとその瞳の奥に、青く拡がる惑星が映っていたに違いない。それは国益とか、さらには伝統・文化といったものまでも越えた次元の瞳の色だったかもしれない。
 木を切るのは簡単だ。チェーンソーなら、細いものなら数秒で倒れる。でも木を植え育てるのには忍耐と時間がかかる。昨年、山荘に泊まった中学生たちが白樺の木を一本植えていった。今年は私もそれにならって、まわりに何本かの木を植えようかと計画している。あの少年の瞳のような青さを取りもどしたいのです。




あの国のかたち
2008/04/21




 「 民族は、その民族に見合っただけの国家しか持ち得ない 」 というようなことを語っておられたのは、作家の司馬遼太郎さんだったと記憶しているが、今日のこの国のしどろもどろぶりを見ていると、その元凶は、政治家や官僚の質の問題とばかりもいえず、やはり私たち民族の抱える体質の劣化なのかと、しみじみ感じてしまう。
 民族の質といえば、お隣の大国の質もあいも変わらず、ほほえましいくらいシンプルな自愛に満ち満ちている。古くから自国以外の周辺の国名に、ケモノ偏やムジナ偏をつけてさげすむような自尊心の強い民族である。
 漢民族の統一国家 「 漢 」 が栄えていたころ、いまのフランス一帯は 「 ガリア 」 とよばれ、そのほとんどはまだ原生林の中にあった。裸同然の原住民が獣を追っていたかもしれない。だから、もしその当時の漢人がフランスに国名をつけたとしたら、「 猥猪 」 とか 「 雌狒 」 といった類であったろうかと想像する。
 民族のDNAをどこかに置き忘れてしまったような国もあれば、その塩基配列のすべてを断ち切ってしまった国もある。あるいは、DNAのラセンのヒモに2000年以上も縛られつづけている国もまたある。その両極端が、数日後の長野で垣間見られるかもしれない。
 8月には “世界の中心は我が国である” と豪語する中華思想の祭典が、オリンピックという衣をまとって始まる。




58歳の星空オタク
2008/04/15




 何かを眺めていて見あきないというものは、そうたくさんはない。わたしにとってのそれは、子供のころから星空であった。58歳の今でも、それからこのあと視力の衰えがひどくなるであろう老後も、やはり夏は “サソリ座” を、冬は “オリオン座” をと、毎晩夜更けまで眺めていたい。春の桜、秋の紅葉というように、四季の星々は、ただ見ているだけで懐かしく厳かな気分になる。それはたぶん、身のまわりのものすべて、私たち自身の体も、宇宙の星々のあいだに漂う星間物質から生まれたものだからにちがいない。
 夜空の星に興味をもちはじめたのは小学生のころでした。たしか小学3年生のときだったと思うが、理科の授業時間にテストがありました。ガリ版ずりの先生手作りの問題用紙で、中に星座の問題もでていた。ヒシャクの形をした七つの星が描かれ、「 この星々はなんと呼ばれていますか 」 というような問題でありました。
 簡単である。ヒシャクの形をした七つの星といえば “北斗七星” にきまっているし、それはたしか前日の授業で学んだばかりであった。だから当然わたしも “北斗七星” と答えるべきところを、「 ?、待てよ、どこか違うな 」と感じた。七つの星のヒシャクの柄(え)の部分の反りが少し違う。柄は先に向かって下向きに曲がるのだけれど、問題用紙に描かれた七つの星の柄の部分は、反対に上向きに反っていた。
 星空オタクであったわたしには、それは心当たりがあった。これは北斗七星ではなくて、“小ビシャク” と呼ばれていた北極星が含まれる “小ぐま座” であると。だから自信をもって 「 小ぐま座 」 と答えたら、翌日返ってきた試験用紙には赤い×印があり、横の友達のを見ると、みな 「 北斗七星 」 で赤い○印であった。
 星空オタクは猛然と抗議をした。教室内はざわめきだし、授業はストップ。
 クラスの皆は 「 北斗七星 」 で○である。それをわたしだけが 「 小ぐま座 」 と答え、おまけに図書室から星座の本まで持ちだしてきたから、騒ぎはさらに大きくなった。
 原因は先生が問題用紙を作るときに、ガリ版上に北斗七星のヒシャクの柄の反りを逆に描いてしまったわけだが、試験の採点はそのあと、なぜかどちらも正しいことになった。
 真実は一つである。おもけに理科の時間である。正しいものが二つあるわけはないと星空オタクは執拗に食い下がった。「 もっとやれやれ! 」 とはやし立てる友達もいたが、おおかたは 「 いいかげんにしろ 」 であった。なぜなら星空オタクが正しければ、みんなの答案用紙には×印がつくことになるからだ。
 この件はその後どうなったかは忘れたが、大人になってから、その時のクラスメイトが思い出として語ることがあり、そんな時は、なんだかとても恥ずかしい冷や汗気分になる。こましゃくれた鼻もちならないガキが、得意満面な顔で先生をやり込めている図が目に浮かぶ。
 いま私がその時の先生で、この現場にいたとしたら、どう対応するであろうかと考える。この生意気な星空オタクをも、他の生徒をも納得させる方法はないものかと考えるが、どうも難しい。先生の困惑ぶりがよくわかる。
 まず、原因は自分 ( 先生 ) のミスであるから素直にあやまる。そのうえで、「 北斗七星 」 または 「 大ぐま座 」 と答えた生徒はそのまま○とし、「 小ぐま座 」 と答えた星空オタクには◎をつけ、そのあと問題となった北斗七星が含まれる 「 大ぐま座 」 と、北極星がある 「 小ぐま座 」 の話しをしてあげたい。母熊と子熊の悲しい神話伝説を語ってあげたい。「・・・ だから今でも、星になった母グマは子グマのまわりを、一日一回まわっているんだよ 」 と。




役にたつこと
2008/04/08




 骨髄のドナー ( 提供者 ) 登録していた娘に適合患者が現れ、近日提供するはこびになったと本人から電話があった。骨髄を採るときは、かなりの痛みを伴うらしいが、本人は3泊4日の入院だと、まるで旅にでも出掛けるように電話のむこうで明るく話す。
 その娘の、「 でも骨髄の提供は、1人の人間が一生に2回しか出来ないのよ 」 という言葉には、ひどくまいった。正直、感動もした。くらべればこの私など、骨髄はおろか献血さえしたことがないのだ。親として、また先にこの世に生まれた人間の先輩としても、とても恥ずかしい気がして、「 父さんもドナー登録しょうかな ・・」 と半分本気で言うと、「 歳とった人はダメなんだって 」 と、にべも無く言われた。この娘は、はたして本当に我が娘なのかと戸惑ってしまった。
 人の役に立つことなど一度もしたことのない己が人生であったと振り返る。美瑛にお世話になって、もう20年近くになる。何か人の役にたつことをしなければ ・・と本気に思う。多ぜいの人には無理だが、両手の指で数えられるくらいの人になら、何か役に立つことが出来るかもしれない。
 宿をはじめて今年で9年目。毎年来てくれる人の顔がうかぶ。そんな人々の声も本気で聴いてみたい気もする。




反わたし
2008/04/08




 「 有る 」 の反対は 「 無い 」、「 物が存在する 」 の反対は 「 物が存在しない 」 ということになる。だが天文学の分野ではそうもいかないらしいのだ。現代宇宙論では、物質にはそれとまったく反対の性質をもつ “反物質” というものが存在し、それで宇宙のバランスがプラス・マイナスとれているのだそうである。
 太陽と同じ姿形で、それとはまったく正反対の物質でできた “反太陽” が存在したり、卑近な例だと、わたしとまったく同じ顔かたちの、すなわち “反わたし” がいたりして、性格は柔和で温厚、勤勉、実直、さらには品行方正で淫らなことなど思ってもみない “反わたし” が存在するというわけだ。ただし、この物質と反物質が出会うと激しく反応し、大爆発が起こり、多量のガンマ線 ( 殺人光線 ) を放出するというから怖い。だから “わたし” は “反わたし” には永久に会えないわけなのだ。
 “反わたし” は、この私の行いが悪ければ悪いほど良くなるという寸法。だから私の自堕落な生活も、それはそれでまったく意味がないわけでもなく、“反わたし” は好むと好まざるとにかかわらず、清く正しく美しく生きられるというわけなのだ。
 夜更けまで飲んだくれて、つまらない妄想に耽るのも、あながち非難されるべきことではないのだと、“わたし” は夜空を眺めながら、星々の彼方に “反わたし” を探してはみるものの ・・・でもやはり余り会いたくもないかな。




それでもわたしは ・・・
2008/04/03




 『 白昼、仕事先において、若い女性事務員を強姦 』
 これがある日、突然わたしの背中に貼られた罪状でありました。
 若いころのことです。当時、消防設備関連の請負仕事をしておりましたが、検査の当日忘れ物をしてしまい、急ぎ元受会社に電話をいれ、誰か体のあいている人に持ってきてもらいたいと伝えたところ、ほどなく車で届けてくれたのが若い女性事務員でありました。
 ちょうどよかった。ついでに検査が終わるまで機械の前で連絡係として居てもらい、無事検査を終了した次第。
 ところが 「 事件 」 はその後、“わたしのまったく関知せぬ” ところで起こったのであります。
 社に帰りましたくだんの事務員、帰りがあまりに遅いので上司に咎められたところ、曰く 「 機械の前で渡辺さん ( わたしのこと ) に犯されました 」。
 彼女の上司の両眼が吊り上り、口が半開きになったのは言うまでもありません。しかしこれは、とんでもないヌレギヌであります。わたしはやってない。誰がなんと言おうと “わたしはやってない” のであります。
 あとで疑いが晴れました。彼女の言葉の助詞の使い方に問題があったのです。つまり、「 機械の前で ・・・」 の 「 で 」 が本来は 「 に 」 であったわけで、そうすればそのあとの 「 犯されました 」 という問題発言が単に 「 置かされました 」 という平凡な意味になるわけでして ・・、「 機械の前に、渡辺さんに置かされました 」 というごくごく平和な意味あいとなるわけなのです。
 それにしてもです、婦女暴行、いや “強姦” という余りありがたくない汚名が会社内にまたたく間にながれ、彼女が誤解を積極的に解こうとしないので、なぜかわたしが一生懸命弁解してまわったのであります。つまりその、 「 それでもわたしはやってない 」 って。




経験という品物
2008/04/03




 文庫本が好きでよく買い求める。寝転がって読んでも重くないし値段も安いしで、増えて困ったあげく文庫本専用の本棚を作ったりした。
 その本棚に時々見知らぬ本が増えたり、またその反対に減っていたりすることがある。増えるのは、息子が 「 父さん、これ面白いよ ・・」 といって置いてゆくのが司馬遼太郎の 『 坂の上の雲 』 であったり、減るのは、娘が 『 山本周五郎 』 を時々抜いてゆくためであるらしい。親子に積極的な会話が無いぶん、たぶんこんな形で補われているのだろうか。
 その娘はよく旅に出る。最近は外国にもよく行く。彼女には以前こんなことを言った記憶がある。給料をいただいたら、着るものや食べものなどに余り使わず、いっぱい旅行をするように。物などはいつでも買えるけど、経験という品物は、若いうちにいっぱい買っておかないと意味がない ・・と ( たぶんこれは、誰かの受けうり言葉だろうけども )。
 『 坂の上の ・・』 の息子はいまカナダに行っており、『 山本周五郎 』 の娘はこの冬エジプトに行ったようだ。外国はおろか、日本国内の旅行もままならぬこの私は、若いころの経験不足がたたってか、未だ北の大地にしがみついている。たぶんこれから先も、海を越えるのは津軽海峡ぐらいかもしれない。




花粉症
2008/03/24




 スギの花粉に悩まされている。
 花粉症の原因は、スギの樹が増えたためだと一般にいわれているが、どうも私にはそうは思われない。
 子供のころは、スギの木ばかりに囲まれた神社の広場で友達と “スギ鉄砲遊び” なるものに興じていたものだった。スギ鉄砲とは小さな紙鉄砲のようなもので、タマは言わずと知れたスギの実である。花粉でいっぱいの実をスギの枝からもみ落とし、ポケットが膨らむくらいに詰め込む。あとは仲間と奇声を発しながらパチパチ撃ち合うわけだ。顔に当たるとピシッと痛い。
 花粉症の症状が出てきたのは20代の後半ごろで、ある日突然やってきた。当時住んでいた静岡市の安倍川のたもとで、酒の肴にするツクシを採っていたらクシャミが止まらなくなった。クシャミどころか眼が恐ろしく痒くなり、目が開けられなくなるという風の強い暖かい春の日であった。
 長い花粉症経験から私なりの対策はいろいろあるが、やはり一番は体質改善のようだ。食事は肉類をひかえ、野菜や魚中心とする。味付けは薄味、ギトギト油っぽい調理法は避け、穀類を多くとる。速効薬・特効薬はなんといっても 「 お酒 」 と 「 お風呂 」 である。どちらも血管を拡げるのが良いらしい。
 花粉症とのつき合いは30年以上にもなるが、北海道に移ってからは白樺の花粉症も加わった。クシャミをしながら眼をこすり、特効薬を飲みながら白樺の花を見上げる。花粉症も仲良くつき合えば、それなりにいいものなんだが ・・・




崩れ
2008/03/24




 顔にタテの中心線をひき、その左右が対称となるのが美男美女の条件だそうである。
 女優の ‘松たか子’ さんが美人であるかどうかは別として、大変魅力的な女性ではある。表情にシニカルで挑発的な色気が混じり、なぜなのかと、その顔の形成に探りを入れてみると、おそらくそれは彼女の口元にあるらしい。向かって左側の口元がわずかに歪むあの独特な筋肉の動きは、相手をこころなしか見下し、皮肉るような小悪魔的な表情をつくる。
 均整のとれた顔かたちのなかの一点のアンバランスは大変魅力的な要素となり、それはアンバランスというよりも “崩れ” といったほうがいい。美しくはないが、“崩れ” は見る人の心を魅了する。
 彼女は最近結婚されたようで、でもあの口元で毎日微笑まれたら、相手の男は萎えてしまうにちがいない。萎えて背骨を抜かれ、男のエネルギーはあの口元から飲み込まれてしまいそうな気もする、よけいなことだが。
 男を決して前向きに生きさせようとはしない口元である。



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