遠景
美瑛を離れてほぼ2ヶ月、ここ内地での生活にも次第に慣れて、それとともに、意味も無くただ遠くを眺めるという時間が少なくなった。
日々の生活の中で、空や雲、遠くの山々を眺めるという行為は、ごく限られた人や特別な職種の人々の行いであって、多くは目の前の雑事に眼を配り続けなければ都会生活は成り立たない。遠近の 「 遠 」 は交差点の信号機ぐらいの距離であり、それ以上の 「 遠 」 は何か特別な意識の強要が必要となりそうだ。
信号機といえば、以前 ( といっても20年ほど前 )、美瑛町には道路の信号機は全町で ( 東京23区と同じくらいの面積でありながら ) 5ヶ所ぐらいであった。ところが近年、観光の人気スポットになったせいで、観光バスやレンタカー、マイカーの乗り入れが多くなり、信号機の設置が急増している。
ところでこの信号機、ある日突然出現するから困る。地元の人々にとって、日常素通りする交差点に突然の信号機は大いに困る。困るだけではなく、怖い! いつもの交差点を車で通り過ぎたあと、「 あれぇ! こんな所に信号機できたの! たしか今、“ 赤 ” だったような ・・・」
美瑛に信号機は不要だとは言わないが、似合わない。そこかしこに信号機の現れる美瑛は、もう 「 丘のまち美瑛 」 ではない。
美瑛の道路に車を走らせると、信号機は余りに近すぎてわずらわしい。近景すぎるのだ。都会では遠景に見える信号機が。


