ある情景

 行き先を告げると、タクシーはすぐに走り出した。女は両手を膝にのせ、硬い表情のまま窓の外を見つめている。
 交差点で信号待ちをしたあと、車は左折しながら次第にスピードを増した。そのとき女の体がわずかに重心を失い、並んで座っていた男の膝に軽く右手が触れる。一瞬であった。しびれるような感触が男の体に響いた。
 とっさに、まだ宙に浮いている女の手を、男の左手が捕らえる。「 あっ! 」 と、かすれた声が女の口からもれた。ほんの1時間ほど前の拒絶の手が、いまは力なく男の手の中にある。白く透ける手の甲に青い静脈が沈み、ひんやりと冷たく伸びる女の指先に、男は自分の指先をからめた。
 車は再び信号待ちで止まった。女は顔をそむけたまま、相変わらず窓の外に目を向けている。色づき始めたポプラの葉が北風に飛び散り、宙に舞っていた。
 男は両手で女の左手を包み込み、暖めようとした。必死に暖めようとした。未練だと分かってはいたが、己の血の流れが女の静脈に伝わり、その温もりが女の全身に伝わるようにと――。だが、すべては無駄のようであった。
 車が静かに止まり、ゆだねられていた女の手が男の両手からスルリとすリ抜けたとき、車のドアが開いた。
 女はドアの外に両足をそろえて立つと、そのまま二三歩あるきかけ、ふと忘れものでもしたかのように車に残された男の方を振り返った。だが次の一瞬、車のドアが乾いた音をたてて閉まった。
 車は再び動き出し、女の姿はすぐ視界から消えた。でも消えるほんの少し前、女の顔にうっすら赤みが差していたように見えた。口元がわずかに歪み、勝ち誇ったようにも見えた。

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 大方の人の見る夢はモノクロ ( 白黒 ) で、色つきのカラーの夢を見ることは稀であるといわれている。でもそれって本当なんだろうか。
 色つきの夢を見ることが私にもある。たとえば山間から赤や緑の光線が夢の中の私めがけて襲いかかってきたり、思い出せないがどこかで会ったことのある女性がピンクのワンピースを着ていたりという風に、見終わったあと 「 ああ、色つきの夢を見たんだ 」 と記憶として残る場合がある。
 だがもしかしたら、夢って本当は全部色つきであって、醒めると同時に色彩が ( 記憶の容量の問題でもあるのか ) 消されてゆくのではあるまいか。どうしても色彩が記憶として残らなければ、辻つまの合わない部分だけが色つきとして残る。それとも、その反対に、脳が勝手に醒めたあと記憶に色づけするのだろうか。頭にいっぱい電極をつけて、見ている夢の映像を大型画面で見られたら、さぞや面白いだろうに。
 古い映画です。黒澤明・監督の 『 天国と地獄 』。その映画は前編モノクロで、途中ただ一箇所、ほんの数秒だけ色つきの画面が流れる。それは、誘拐犯人が身代金の入ったカバンを焼却処分するとき、カバンの底に燃やすと赤い煙の出る薬品を警察が忍ばせておいたもので、事件後のある日、とあるゴミ焼却場の煙突から赤い煙が立ち昇るというシーンであった。当然その部分は色つきの画面でなければならず、それがあたかも、この映画は前編カラーであったかのような錯覚として記憶に残る。
 月探査機 「 かぐや 」 からの映像がテレビ画面に流れ、はじめモノクロの画像かと思っていると、急に青い小さな地球が月の裏側から現れてきて驚いてしまう。実に不思議な瞬間だ。
 火星は赤いし木星や土星は黄色、海王星は地球と同じく青い。太陽系の惑星は色彩豊かだと思われるが、ひとつひとつの距離は恐ろしく遠い。暗黒の中に赤や黄、青の点としか映らず、でもモノクロの宇宙空間に浮かぶそれらの惑星たちに近づいて見ると、とてつもなく美しく感動的であろうかと思う。それはみな暗黒の闇が背後で演出しているとしか思えない。水墨画の中に一点、柿の実が朱に描かれているような具合に、芸術的でさえある。

 「・・・、最近の研究では、僕たちは眠っている時間の20%位は夢を見ているそうだ ( 一晩に1~2時間ぐらい )。そういう時間に眠りを邪魔されると、僕たちはイライラ、ピリピリする。これはまさに、すべての人間は自分の生きている状況を芸術的に表現しようという欲求を生れながらにもっている、ということだ。
 夢は僕たち自身の物語なんだ。僕たち自身で演出し、すべての小道具をそろえ、すべての役を演じる。芸術なんてさっぱり分からないと思い込んでいる人は、自分をよく知らないんだ 」 ( ヨースタイン・ゴルデル 『 ソフィーの世界 』 より )

メル友の某方へ

 あなたからのメールは、雑に生きてきた私にはとても重く響きます。長く生きていけば、人は未来に焦りを覚えることもあるでしょうし、人生に真摯 ( しんし ) に立ち向かえば向かうほど余計に満たされぬ思いも増すことでしょう。私などこの歳になってもまだ、もう一度十代からやり直したいと思うことがよくあります。
 恋愛に対し、女性は受動的であるといわれます。それは、そのほうが精神的に安易であり、身を守るためであり、さらには動物の雌が備えている繁殖に対する大いなる知恵なのかも知れません。でも恋愛における受身の心地よさは、とかく人の生きてゆく姿勢にも伝染しやすいものです。
 某方へ。遠く離れた仕事現場からの近況報告ですので、あなたからのメールに直接応えることは出来ませんが、でもいつも気になってはいます。助言らしき適切な言葉が見つからず、我ながら歯がゆく思っています。私には荷の重い内容ですし、特に女性のあなたには当を得ない言葉ばかりの羅列となってしまいましたでしょう。
 最近読んだ、作家・井上靖さんの 『 猟銃 』 という小説に 「 遺書 」 という形で、ある女性の以下のような告白が載っております。長いですが書き写しますので読んでみて下さい。

 「 愛する、愛される、なんて悲しい人間の所業でしょう。女学校の二年か三年のころのことでした。英文法の試験の時、動詞の能動態と受動態の問題が出たことがあります。打つ、打たれる、見る、見られる、そうしたたくさんの単語の中に混じって、愛する、愛されるという二様の眩い言葉が並んでおりました。皆が鉛筆をなめなめ問題とにらめっこしている最中、だれの悪戯 ( いたずら ) だったでしょうか、背後から一枚の紙片がそっと廻って参りました。見るとそれには、貴嬢は愛することを希 ( のぞ ) むや、愛されることを希むや、と二様の文句が二様に認められてありました。そして愛されることを希むという文字の下には、インキや青や赤思い思いの鉛筆で、たくさんのまる印しがつけられてあり、一方の愛することを希むという欄には、ただ一つの共鳴者のサインも付けられていないのでした。私の場合もまた決して例外ではなく、愛されることを希むという文字の下に、一個の小さい丸を付加したものでした。愛することも、愛されることも、それがいかなることを意味するのか詳しくは知らない十六七の少女のころでさえ、すでに愛されるということの幸福を本能的に嗅ぎ分けているものでしょうか。
 しかしその試験の時、ただ一人私の隣席の少女だけは、私からその紙片を受取ると、それにちらりと視線を移していましたが、ほとんどなんの躊躇 ( ちゅうちょ ) もせず、ただ一人のサインも持たない空白の欄に太い鉛筆でくるりと一個の大きい丸を書き記しました。私は愛することを希むと。その時、私はなぜか、その少女の妥協しない態度に小憎らしさを覚えたと同時に、さっと隙 ( すき ) をつかれたような戸惑いを感じたのを、いつまでもはっきり覚えています。
 ( 中略 )
 女が人生の終りで、静かに横たわって死の壁のほうに顔を向ける時、愛された幸福を満喫した女と、幸少なかったが、私は愛したと言い切れる女と、はたして神はどちらに静かな休息を与えられることでしょうか。しかしいったいこの世に、神の前で私は愛しましたと言い切れる女があるものでございましょうか。いいえ、やはりあるに違いありません。あの少女は、あるいはそうした選ばれた数少ない女の一人に成人したかもしれないのです。髪を振り乱し、全身傷だらけになり、裂け破れた衣服をまとい、そしてその女は昂然 ( こうぜん ) と顔を上げて、私は愛しましたと言うでしょう。
 ああ、いやです。逃げたいのです。でも払っても払っても追いかけて来るその少女の面差しを、いま私はどうすることもできません。数時間後の死を前にして、この堪えらない不安な思いはなんでしょうか。愛する苦しさに堪えかね、愛される倖せを求めた女の、当然受けなければならぬ酬 ( むく ) いが、いま私の上に降りかかっているようでございます 」
  ( 井上靖 『 猟銃 』 より )

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 美瑛の話ではありません。

 私の母方の祖父は大変 “怖い” という印象の人でした。怖いというのは、大きな声で怒鳴ったり手を上げたりというのではなくて、ただその姿、形だけで子供ごころに恐怖を覚えたものでした。
 細おもての顔で眼光鋭く、しかし何よりも口とアゴのまわりの豊かなヒゲは圧倒的で、それだけでもう子供ごころは完全に凍りついてしまうのです。
 叱られたという記憶はあまりない。ただ、とにかくよく、鋭いドスの利いた声で名前を呼ばれたという記憶だけはある。
 別にこれといった用事も無いのに、ただ名前だけはよく呼ばれた。
 「 * * * ! 」 
 「 そうか、おまえが * * * か 」
てな具合にである。
 初めて面会したわけでもないし、かわいい孫の名前を忘れてしまったわけでもないのにである。そんな時にはきまって母の尻のうしろに、こわごわ隠れたものだった。
 父方の祖父は私の生れる時には、もうこの世にはいなかった。生前、当地の村長を務めていたことがあったそうで、その時の助役が前述のヒゲの母方の祖父であったという。また、私の名前は、死んだ祖父の名前をそっくり頂いたのだそうです。
 してみると、それやこれやで何やらわかり出してくる。前述の ――
 「 * * * ! 」 
 「 そうか、おまえが * * * か 」 がである。

 父方の祖母は長生きして、私が小学生のときに亡くなった。私は8人兄弟の末っ子でもあったし、特に祖母には可愛がられた。小学校にあがる頃まで祖母と一緒の布団に寝ていたものだ。
 そういえば祖母も孫の私の名前を、用も無いのによく呼んでいた。死んだ連れ合いと同じ名前の孫の私を。そして幼い私を抱いて、一緒に毎晩寝たものだった。

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自然

 十勝岳の麓に美瑛町の中心街がスッポリ収まるくらいの広さの 『 白金模範牧場 』 がある。牧場は舗装道路で2分され、さらに 『 野鳥の森 』 へと道路は続く。
 この道路の両側は対照的な姿を見せる。片や手つかずの原生林 ―― エゾ松やトド松の巨木やダケカンバの太い幹がうねり、その根元は熊笹が生い茂り、デコボコと波打って、じめじめして薄暗い。エゾシカが急に飛び出してきたり、ヒグマを見たという人もいる。
 もう片方は、もともと原生林であったものを、木を切り倒し、根を掘り起こし、地面を平らにならし、牧草の種をまいて牧場としたもので、すべてに人の手が加わっている。たくさんの牛が草を食む光景は、眺めているだけでも心が癒される。私たちが 『 自然 』 という言葉をイメージするときは、たぶんこの二つの姿の間のどこかに納まるのではないでしょうか。
 広々とした牧場の所々に木々を植えたり花壇をこしらえたりすれば公園になり、ゴルフ場になったりする。また、原生林に遊歩道を通し看板を掲げ、レーンジャーを置いたりして自然を管理させれば世界遺産になる。どれもみな自然ではあるけれど、人それぞれの 『 自然 』 という言葉のイメージする姿は違う。
 「 自然環境を守る 」 という言葉が飛び交うとき、その守るべき自然とは一体どのような自然をさすのか、人それぞれで違っては困るのではなかろうか。人の心を癒すだけなら公園や遊歩道でもいいかもしれないが、地球環境といったグローバルな視野から見れば、やはり自然は 「 手つかずの自然 」 であってほしい。

 ( 写真・上は、1月ごろの上記の場所。道路をはさんで右が牧場、左が原生林。写真・下は8月下旬ごろの白金模範牧場 )

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ハイヒール

 美瑛といえば、なだらかな丘陵地帯。農道は舗装されてはいますが、ジャリ道もまだまだ多い。山荘も公道から分かれたおよそ300mの私道はジャリ道となる。
 “山荘” という名前からくるイメージや、ホームページの写真からおよその覚悟をして来るのだろう、訪れる旅人の足元はやはりスニーカーが多い。でも中にはハイヒール姿の女性もたまに見かける。
 彼女の装いは明るい。長い髪にイヤリング、首飾り、白地の軽やかなスカートにハイヒールである。大きな旅行カバンが無ければ、都会の街並みを歩いている女性と変わらない。
 それが山荘に着いてまもなく着替えた姿は、綿シャツにジーンズ、髪は束ねて帽子にサングラス、もちろん足元はスニーカーとなる。これはすごいことだ。こんな風に一瞬に気持ちもサッと切り替わるとすれば、まったくすごい。
 つい数時間前まではビルの谷間をハイヒールで闊歩していた彼女が、ほんの1~2時間で北海道にわたり、そこから1時間足らずで山荘に来る。そしてスニーカーに履き替える。これがわからない。わからないというか、どう気持ちが切り替わるのかがまったく想像できない。まるで美瑛の地を、都会のテーマパークと同じ視線で扱われているように思えてしまう。自然を含め、あらゆるものをイリュージョンとして捉えているかのような身軽さ、気前のよさで我がものにしてしまう。
 彼女は、帰るときはもちろん、来たときと同じスカート姿にハイヒールとなる。見上げる青空の向うに十勝連峰が連なり、さらにその向うには都会の高層ビル群が蜃気楼のように見えているのかも知れないが ・・・そんなことは当たり前といった表情でサッと帰っていく。

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贅沢な会話

 美瑛に移り住んで20年近くになるのに、私には地元に友人とか親しい知人がおりません。これはもちろん私が引っ込み思案なせいでもありますが、近くの農家の方々の農作業の忙しい時期に美瑛に居るのに、そのあと秋から冬、翌年の春にかけての彼らの農閑期に、逆に内地に出稼ぎに行ってしまうという、この私のちぐはぐな生活形態にもよります。地元の方々との接触も、だから家内の知り合いの方々がどうしても多くなります。
 人と人との交わりは若い頃から得意なほうではありませんでした。それが 「 山荘 」 という宿を始めてみて、多くの旅人と接する機会を得、彼らの自然を見つめる目をうかがう度に改めて 「 自然っていいもんだ 」 と教えられました。自然に対する見方・感じ方がこれほど多彩なものかと驚き、感じ入ったものでした。それらが閉ざされていた私の心を改めて開いてくれたようでもあります。
 人それぞれの美意識の違いは歴然としていますし、尊いものです。美瑛の丘を案内していて、ある風景のひとコマに、ある人は執拗にカメラを向け、またある人はまったく興味を示さないということがしばしば見かけられれます。これは感性の度合いではなく、おそらく感性の向かう方向が違うのでしよう。そんなとき言葉は無くとも、ふと会話を楽しんだような気分になります。
 この地での人との交わりが地元の方々とではなく、遠くからやって来た旅人たちとであるというのも残念な気もしますが、これも間に美瑛の自然といったものが無ければ成り立たないわけで、なだらかな丘を望みながら想いを馳せる者同士は、無言ではあっても大変贅沢な会話を楽しんでいるのかも知れません。

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遠く離れて、ときどき近況

 『 近況報告 』 を遠く離れた内地から送ってみようかと企んでいます。
 美瑛の宿の近況報告を内地から発信するというのは何とも変ですが、「 近況 」 ではなくて、美瑛に暮らしていた頃の日々の 「 想い 」 といったものを時々書き込めたら ・・・と、それが動機です。
 私はいま、出稼ぎ先の静岡県・島田市におります。この地の気候は美瑛とは正反対の、春・夏・秋だけの “冬” の無い大変温暖な場所です。近くを、江戸時代に 「 越すに越されぬ ・・」 と言われた大井川が流れ、茶畑が拡がり、東海道の宿場跡も残る古い町です。なにやらうたた寝をしてしまいそうな町でもあります。
 そんなのどかな場所から仕事の合間を見つけ、はるか美瑛を思い出しながら物思いに沈んでみようかと ・・しています。

 ( 添付する写真は、当ホームページの 「 写真館 」 より過去のものを取り出しております )

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